スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画「The Dark Knight Rises」レビュー

「伝説が、壮絶に、終わる。」

誰だこんなキャッチコピー考えたの!
どうも、あんだーそんです。

名称未設定 1
こっちの方がシンプルで好き。


さてさて、7月28日から日本でもクリストファー・ノーラン監督のバット映画「The Dark Knight Rises」が公開された。
前作「Dark Knight」の評判を聞きつけ、ディスク化した後に鑑賞した人も多いだろう。
X-MENやアイアンマンといった所謂王道ヒーロー物とは全く別の視点から作られた事から多大な評価を得た前作だが、今回は完結作という事も相まって更なる期待がかかっていた。

とりあえずネタバレ無しで断言できる事といえば今作を満遍なく楽しむ為には視聴前に「Dark Knight」ではなく「Batman Begins」の視聴が必須という事。
前作と違い、未視聴者には絶対にわからない固有名詞がポンポンと出てくる上に、キャラクターの相関図が劇中の登場人物以外にも伸びているため(一応登場はしてるが…)当たり前の様に会話をする彼らを前に口をポカンとするのは避けられなくなってしまう。
そして、出来れば現在出ている分だけでも良いのでアメコミバットマンの「ラーズ・アル・グール」が関係するものと「ベイン」が出ている物に少しだけでも目を通しておくとキャラクターの動機がすんなり頭に入ってくる様になるので余裕がある人には買って欲しい所。

more...からネタバレ全開のレビューをしていくので視聴後の方。もしくはネタバレOKな方だけGO!

「タリアぶっさ!」
冗談で言ってるわけじゃないです。いきなりのネタバレもすみません。
※タリアは噂はあったけど一応非公開ヴィラン


前作が人間の負の部分を描いた超心理サスペンスものなら今作は紛れも無い「ヒーロー映画」だ。

そもそもノーラン監督自身「皆は映画のシリーズもので出来の良い3作目を思いつきますか?」と言い放つ程三作目で成功した映画は少ないので自分も「ダークナイト級は期待しないでおこう」と思っていた。
結果的にそれが良好な観賞に繋がったのは幸いだけど観客の心を抉るような「狂気」は作品から投げ捨て、前作で培ったブルースの「ダークナイト」としての精神は何処へやらなので、ガッカリする人は少なくないだろう。

「Dark Knight」が賞賛された大きな点はヒース・レジャー演じるジョーカーの存在と、そこから生み出されたトゥーフェイス。そしてジョーカーの問に対して大きな答えを突きつけたゴッサム市民という素晴らしいキャラクター達だ。バットマン本人は最後の最後でやっと自分の考えが確信に変わった事で成長し、主人公という役目を果たしたがどちらかと言えば狂言回しにやっている事は近い。加えて当事者の筈なのに、実際は傍観者のごとく本人からは答えを出せない立場なので視聴者目線で世界を追いやすいのも利点になっている。
余りにサスペンス寄りになりすぎたせいで「ヒーロー」が持つ華やかさとは遠くなってしまったが、視聴していく内にゆるりとそういう映画ではないと理解出来る作りなので単品としては全く問題がない筈だ。

「The Dark Knight Rises」の話に戻る。今作ではジョーカーやトゥーフェイスの様な独自の価値観を持つキャラクターはいない。それ故に観客に訴える恐ろしさは圧倒的に足りなかった。
ジョーカーの適当な台詞の端々から伝わってくる「狂気」は今まで信じていた価値観をズタズタにされそうな恐怖を纏っていた上に、バットマンと関わることで自分が完成するという正義の存在を肯定できる悪と成る事で主人公との関係性を明確にしていった。対して今作のベインといえば大した哲学も無ければ行動全てが理解の範疇を超えていない。正確には最後の最後までカリスマを以って大きな火を暴力や知略を使ってゴッサムシティに撒いてはいくのだが…この辺りを細かく書くと長くなるので端的に言うと一部原作で見られる「ベインはタリアに恋してる」という設定が彼の動機全てである。
犯罪の規模としてはジョーカーを遥かに超えるものの、そこに彼自身の主張が無く、直接手を下してる様にも見えず、最後の最後でポッと黒幕として出てきたタリアが事件の全てを持っていってしまう為に、敵としての格が奈落の底まで落ちていってしまう。そして、彼の全てであるタリアもまた動機は肉親である父親に委ねられていて深みは一切無い。
寧ろヒーロー物の作品で「Dark Knight」のヴィラン程異質な物はないので酷な要求とも思える。怒りや失望といった感情の外にあるものから、恐怖を感じさせる悪意を捻り出せるキャラクターが作れたのは様々な作家がテーマに沿って彼らの危うさを描いて見せた結果だろう。
とはいえ、良く言えばベインは誰にも分かりやすいストレートな悪役として描かれているとも。
他に今作に出てくるメインキャラとしてはセリーナ・カイルことキャットウーマン(本編ではキャットウーマンという単語は使われない)と、後のロビンであるブレイクやその関係者が出てくるも目立つキャラが多いせいか半ば群像劇と化してしまい後述する"良さ"から視聴者の視点をブラしてしまう原因になっている。


さて、前述した通り今作は「ヒーロー映画」であり、そのテーマがぶれる事はない。
バットマンでありたいブルースにとってのヒーローとは何なのか。ゴッサムにとってのヒーローとは何なのか。警察にとってのヒーローとは何なのか。子供たちにとってのヒーローとは何なのか。真のヒーローはどこにいるのか。
そこが"このシリーズ"の終着点でもあり、一つの名シーンを生み出してもいた。
そこさえジっと観賞できれば傑作といっても申し分無いだろう。(ゴードンの鈍感っぷりには呆れるが
ブルースがバットマンを続ける理由なんて今となっては大したものじゃなく、執事のアルフレッドが突っ込んだ通り「ヒーローごっこがしたかったから」という狂気一歩手前の動機に尽きるのだと自分も思う。では、その原因は「Batman Begins」で発見できるだろうか?「Dark Knight」で変化は現れていただろうか。そんな所から完結作に相応しい疑問をもやもやっと湧き出させ、一旦ブルースの心を折ってから「Rises」させ解消していく脚本は3作の中で一番爽快だった。
思い返せば「Dark Knight」以降犯罪者として祭り上げられた「バットマン」だが、当時はまだ子供だったロビンやウェイン財団が支援していた孤児院の子供たちにも「ヒーロー」として映っていたのは感慨深い。ノーラン版バットマンの世界には「ヒーローがいない」という設定があるので、ブルースが親を亡くした際にゴードンから見た「ヒーロー」という概念がそのまま次世代に伝わって「誰でもヒーローになれる」という希望を生み出している。ベインは「希望がある事が絶望だ」と言ったけど答えは既にゴッサムで出していたのだ。それにより過去2作と比べると非常に前向きで、バットマンらしからぬハッピーエンドを演出できている。これがノーラン監督の「バットマン」という作品に対する答えなのだろう。
ただ、その結末まで疑念無く見続けるには上に書いた通りノイズが多く、設定を思い出す必要もあるので簡単ではない。実際、自分も最初の観賞の際には頭の中がツッコミで埋まっていて理に適っている場面でさえ気付かず粗と認識していた。


総じて「Dark Knight」の様な単品でのカタルシスは得られないもののシリーズの完結作としては傑作。
何よりカメラワークと編集もまた向上しててよりアクションが見やすくなっているので、単純にエンターテイメント作品としても見れる所は今までと大違いだろう。「出来の良い3作目を思いつきますか?」と聞かれれば自分はこれを挙げる事も出来るし、名場面は多々あった。ただ、大きな壁としてこの作品を完璧に理解するには前2作(特にBatman Begins)を見る必要があり、それが楽しめる様になるまでの間口を狭くしている。できる事なら実際にシリーズ全部を視聴しないまでも、ネタバレやあらすじだけは見ておくとスクリーンに置いて行かれる事なく観賞できるのでオススメしたい。兎に角、これに目を通さずヒーローを語るのはもったいない!
スポンサーサイト

theme : ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises)
genre : 映画

プロフィール

あんだーそん

Author:あんだーそん
Steamのニックネーム:Donald
SteamのID:andersonkun
フレンドの申請はご自由に!大歓迎です
プロフ画は「さんちぇむ」さんに描いてもらいました!感謝!

連絡先
メールフォームにて

pixivやってます

twitter
最新記事
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。