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映画「マン・オブ・スティール」レビュー

「その使命を 突き止めろ」
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情報が公開されてから常々楽しみにしていた映画「マン・オブ・スティール」が先日公開された。
珍しく公開初日に見に行ったので感想等を一切耳に入れずに観賞する事ができたのだけど期待値以上の出来で早く見れて本当に良かったと思う。本作は監督ザック・スナイダー、製作総指揮にクリストファー・ノーラン。そして脚本に「ブレイド」や「ダークナイト」シリーズでお馴染みデヴィッド・S・ゴイヤーを迎えての制作という事もあり、ヴィジュアルに傾倒しがちでついつい一本調子になってしまうザックの作風を上手く調整できたのかアクションは新鮮になり、お話も綺麗に纏まった出来に仕上がっていた。
秀逸なのが今まで彼が多様してきたスローモーション演出を今作では殆ど封印している為、超人達のハイスピードな戦いは本当に目で追うのがやっとのぐらいで描写される。それでいて重要なアクションではアングル、わかりやすい構図に拘っている為状況を把握し辛い、といったシーンはあまり見られなかった。(それでも動きを見失ってしまう人は少なくないようだが…)
鑑賞翌日以降もまだ熱がこもってる作品なのでしっかり思い返してレビューしたいと思います。

例によってネタバレ全開なのでネタバレOK、視聴済みの方のみmore...から


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「お前が大好きな人間を…1人ずつ殺してやる…!」
ぞ、ゾッド将軍かっこいいタルー…

資源枯渇と無理な採掘を繰り返した結果2週間後には惑星が崩壊してしまうクリプトン星。「ジョー・エル」は元老院に対しクリプトン人を絶やさない為に彼らの遺伝子情報が詰まった「コーデック」を託して欲しいと頼み込んでいる所、種族の危機にも関わらず悠長に構えていた元老院に業を煮やした「ゾッド将軍」はクーデターを起こす。
種族の行く先を案じているのはジョーもゾッドも同じだが同胞に刃を向けたゾッドを彼は許せず争いになってしまう。結果、コーデックスは地球に送り出された彼の息子「カル・エル」の細胞に書き込まれ、ゾッド将軍は反逆罪でファントムに幽閉されてしまう。しばらくしてクリプトン星は滅びてしまうのだが、それによって幽閉が解かれたゾッドと、地球に送り出された「カル・エル」こと「クラーク・ケント」がクリプトン人の命運を握る…と、いうお話。

今回は皆が良く知る「デイリー・プラネットで働きながらもスーパーマンとして人を助けるクラーク・ケント」に至るまでの話なので彼のルーツを辿る事に終始して若干ドキュメンタリーチックな作りだ。地球でケント夫婦に拾われ、彼らの愛情に育まれながらも他人とは違う自分に戸惑いを隠せず力の行使の仕方にも悩んでいくが、地球の父親である「ジョナサン・ケント」がクラークの正体を守り通して亡くなってしまった時から「使命を見つけるんだ」という彼の言葉を胸に旅を始め、その道中に人助けという方法で地球人という種族を知っていく過程が描かれる。
これには若干批判的な声が多く、劇中では時系列順に彼の人生を追っていかない為に人によっては理解が難しいという。かくいう自分も体の成長と共に心も成長していく所が見たかったので、ある意味スーパーマンとしての精神は完成してしまっているクラークが初っ端から映ってしまうのは少しもったいない気がした。
なんとなくだが丁寧に追い過ぎ、結果として観客を退屈させてしまった「バットマン・ビギンズ」と同じ鉄は踏まんという試みが見えるがバットマンと違いクラークは周りの同年代と比べて最初から超人なのだから魅せ方はあっただろうと思ってしまう。

かくして色んな出会いと出来事により形成された彼が人類を救おうとするのは必然的で、地球を新しいクリプトン星にしようとするゾッド将軍達との衝突は避けられない。このあたりからこの映画を象徴するようなバトル、バトル、バトルでアドレナリンは上がりっぱなし。数は多くないが今まで見た映画の中では飛び切りハイスピードで、アニメの様なカット割にただただ興奮する外なかった。超人同士の対決という事でこの映画のアクションはドラゴンボールが良く例に出されるが、地球の大気に慣れて太陽から力を得たスーパーマンと違って敵であるクリプトン人の戦士達はまだ空中を飛んだりする事が出来ないので地上での高速移動や超ジャンプにより、その圧倒的な力を見せつけているのでどちらかと言えば監督のインタビューでも言われている「鉄腕バーディ」のそれに近い。
コンクリートぶち抜きからコンクリートをぶち抜き、超ジャンプからの急降下で地面はえぐれ、壁面は壁をえぐりながら無理やり上り、浮かした相手には高速移動で再び追撃する。
面白いのはスーパーマンとその他のクリプトン人の動きの違いだ。元々戦士になるべくして遺伝子情報から作られた彼らは訓練の成果もあって各々のファイトスタイルが確立されているが、対するスーパーマンは農場で鍛えたのか?と馬鹿にされるのも納得のタックル厨である。基本的には力任せに殴るか、投げるかといった戦い方なのだが結果的には敵方のバリエーション豊富な動きを引き立てていて良かった。

最後にはゾッド将軍を倒したスーパーマンだったが素直に喜べる結末ではない。
正しくは覚えていないが「お前は地球人とクリプトン人を繋ぐ希望になる」と、本当の父親であるジョー・エルはスーパーマンに一つの使命を与えた。勿論、スーパーマンと彼の中にあるコーデックスによって産まれるかもしれない未来のクリプトン人の事だとは思うがゾッド将軍達も完全な例外ではないだろう。
人間を滅ぼしてでもクリプトンを再興しようとしていた彼は地球人に対して冷酷かもしれないが、決して人としての情が無いというわけではない。ゾッド将軍は慣れない気候により倒れてもその後の戦闘で気絶した仲間を助けに戻ってきたし、クリプトン人のDNAがつまった船がスーパーマンに破壊された時は泣き出しそうな声で彼を止めようとした。遺伝子情報から軍人になるべくして産み出され、軍人として育てられ、軍人として何かを護り続ける人生を歩んできた彼は他の運命を切り開く事が生まれついての使命故に叶わない為、話し合いを重ねたり、新たな手段に向かう事ができなかった悲しいキャラクターだ。スーパーマンの対としてはこれ以上ないぐらい輝いている。
そして、暴力を用いて何かを犠牲にするという選択を取らざるを得なかったスーパーマンの叫びは心に響くものがある。未熟故に同胞は救えず、闘争に夢中になって街の至る所を破壊し、挙句の果てには殺人までしてしまった彼は一時的にとはいえジョナサンの死の時と同じく大きな喪失感に包まれたに違いない。だが、この決断によってようやく地球人にとってのスーパーマンは誕生した。


大まかなストーリーとしては単純に「悪の同胞が今の故郷である地球に攻めてきたのでやっつける」という王道ではあるが、最初の敵が故郷の人間というのは今回のスーパーマンシリーズにとって重要な要素だ。何故赤の他人であり、種族も違う非力な地球人を救うのかという理由付けに関しては今作が大きな土台となり、恐らく今後のシリーズで出てくるであろう「地球人の敵」に対して彼がどう対処するのか俄然興味が湧くキッカケとなった。ゾッド将軍も貫き通した「護る」という行為にスーパーマンはどう影響を受け、どう行動していくのか。バットマントリロジー同様に敵味方共にテーマがハッキリしているので是非そこに目をつけていきたい。

ぶっちゃけ地球人の視点からしてみれば「お前が来なけりゃ平和だったんだよ!!」の一言で済むし、その感情によって彼らクリプトン人に感情移入できないという人がいるのもわからなくはない。けど、スーパーマンが旅の道中人知れず救った人数も決して少なくはないし、これからも救い続けると思うので許して欲しい所。
それに、同じ種族の枠の中にいるものとして考えれば決して感情移入できないキャラクター達ではない。地球の危機に対応して犠牲となった軍のキャラクター同様に、彼らクリプトン人も種族の危機に命を賭けて戦ったのは変わらない筈だ。それを完全に他人事で捉えてしまうのは何とも寂しい気がしてしまう。

従来のシリーズと比べると悪い意味で現代風になってしまったのでユーモアは少し足りないが間違いなくリブートとしては満足できる出来なので是非是非興味のある人にはディスク待ちではなく劇場に足を運んで欲しい!
今年最大級のアクションを大きい画面で見ないのはもったない!!


チラ裏

スーパーマンが出てくるコミックに目を通しているとちょっと笑ってしまうシーンがある。
自分はバットマンやレッドサン、キングダムカムぐらいでしか彼の姿を目にしていないけど、それだけでも「尊大」や「指導者には向いてない」という事で人間であるバッツに馬鹿にされたり敬遠されてる事が多い。多分無意識の内にその能力の差から「俺は奴らを助けられる存在」という慢心があるんだけど結果として何かをまとめあげた際には後々それが瓦解して状況は元より悪化してるし、その後他人に助けを求める事が多い。なのにマン・オブ・スティール内でスーパーマン本人ではなく、父親のジョー・エルが「お前が彼ら(地球人)を導く存在になる」と言ってるあたり何かを見下し気味で無駄に尊大なのはクリプトン人の性質っぽくて彼らはそれを自覚してないのが凄くらしくて面白い。(クリプトン人の指導者達もあんなんだし)
ザック・スナイダー監督はアメコミ大好き人間で、一般的なイメージではなくコミックスに目を通している人達が持っているイメージを目指していったらしい。そんなクリプトン人の尊大さに「なんだかアメリカ的で気持ち悪い」という印象を持つ人もいるだろうが原作通りだと考えるとニヤリとくる描写だ。もしかしたらそういったアメリカ的な考えを皮肉った設定なのかもしれないし、素直に向こうの人が考える憧れのヒーローなのかもしれない。兎に角、それは本気で今作に取り組んだ結果、監督の意図とは別にスーパーマン自身が本来持っていた空気を実写にて取り戻したという事で狙いは大成功と言っても過言ではないだろう。

更にチラ裏

どの作品もレビューを書いた後は他の人の評価が気になるのだが「マン・オブ・スティール」に関して言えば構成の悪さや台詞、アクションが合わないといったちゃんとした意見もある中、レビュー者が勝手に想像したスーパーマンを軸に「こんなのスーパーマンじゃない!」とのたうちまわって低評価をつけるものもかなり目立ってうんざりしている。
大前提として、マン・オブ・スティールは向こうのアメコミスーパーマンの膨大な設定からピックアップしてきたものが土台となっているので決してノーランが関わった事によってリアル志向な方向になったわけではない。(加えてノーランも原案と脚本にちょっと関わってるだけだ)なのでザック・スナイダー監督やノーラン製作総指揮が自分の好みにスーパーマンを作り替えたという評価は的を射てないし、そういった要素が必要ないというコメントは向こうの原作そのものを否定する事になる。
そもそもよく比較に出されるクリストファー・リーヴのスーパーマンや、マン・オブ・スティール同様ゾッド将軍出演のスーパーマンⅡを引き合いに出される事が多いが、一連のトリロジーはまだ今の様な設定になる前のスーパーマンなだけであって現在のスタンダードではない。勿論どちらが優れているとかそういうのは人の好みだし、製作者の狙いはそれぞれ違うのであまり大した意味はない。だから今作のスーパーマン像が受け入れられなかった人はモダンスーパーマンが好みじゃないだけなのでいちいちそれらしい理由を書かず「やっぱりスーパーマンは昔のが好きです」の一言で済まして欲しいと思う所。

コミコンでは拍手と歓声で迎えられたザック監督だし、本国でのユーザーからの評価も悪くない。
だけど馴染みのない日本ではクリストファー・リーヴのスーパーマンや、まだそれに近いリターンズの彼のイメージが強すぎる上に彼らより好きになったという人を大幅に増やすまでには至らなかったようだ。
監督は違うがバットマントリロジーでも一作目は「生誕を描く」事に集中し、二作目で大出世した。
次作も重いテーマになるかどうかはわからないが次こそは多くの人の心を掴む作品になってくれる事を願いたい。
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theme : 洋画
genre : 映画

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